”マゾ”の言葉の語源を知ってますか?100年以上前の小説が元となっているのです。

BDSMの歴史

今日「マゾヒズム(被虐嗜好)」の語源は『ヴィーナス・イン・ファーズ(Venus im Pelz)』は、**レオポルド・フォン・ザッハ=マゾッホ(Leopold von Sacher-Masoch)**によって1870年に発表された小説であるとされており、この作品とその作者の思想や嗜好が、後の精神医学や性の議論に多大な影響を与えました。
邦題は「毛皮を着たヴィーナス」となっています。

『ヴィーナス・イン・ファーズ』のおおよそのあらすじ

物語は、夢と現実の境界があいまいな枠物語形式で展開します。

【構造】

  • 語り手(「私」)が、夢の中で出会った男性セヴェリンの手記を読むという形で本編が進みます。
  • セヴェリンは、ワンダ・フォン・ダヌンイェフという美しい女性に激しく惹かれ、彼女の「奴隷」になることを望みます。

【本編】

  • セヴェリンは自ら進んでワンダのしもべとなり、彼女の毛皮(ファーズ)姿に支配されることに陶酔します。
  • 奴隷契約を交わし、身体的にも精神的にも支配されることを求められる。
  • ワンダは最初は戸惑いながらも、徐々にその役割に目覚め、支配者として振る舞うようになります。
  • しかし、最終的にはセヴェリンの理想が幻想であることが明かされ、彼は破滅的な目覚めを迎える。

『ヴィーナス・イン・ファーズ』が描かれた時代背景(19世紀後半)

この作品が書かれた**19世紀末のヨーロッパ(特にオーストリア=ハンガリー帝国)**は、以下のような背景を持っています:

◆ 社会・文化的背景

  • ヴィクトリア朝的な抑圧された性道徳の時代でありながら、同時にデカダン(退廃主義)や官能文学が密かに人気を博していた。
  • 上流階級・貴族社会では、表のモラルと裏の倒錯的な欲望が共存していた。

◆ 精神医学の発展

  • フロイトが活躍する少し前の時代で、精神分析や性心理学の芽が出始めていた。
  • その中でサディズムやマゾヒズムといった嗜好も研究対象となり、ザッハ=マゾッホの作品が注目されるようになる。

『ヴィーナス・イン・ファーズ』がその後に与えた影響

「マゾヒズム」の語源に

  • 精神科医クラフト=エビングが著書『性倒錯心理』(Psychopathia Sexualis, 1886)の中で、「マゾヒズム」という言葉を造語。
  • ザッハ=マゾッホの名前を冠して「マゾヒズム=自ら進んで苦痛を受けることに快感を得る傾向」と定義した。

◆ 性文化・芸術への影響

  • 小説、演劇、映画、ファッションに至るまで、「女王様と奴隷」「毛皮と支配」といった象徴的モチーフが繰り返し引用される。
  • 特に20世紀後半以降のポストモダン文学やSMカルチャーにおいて、その影響は顕著。

◆ 現代文化でのリバイバル

  • **ロマン・ポランスキー監督の映画『ヴィーナス・イン・ファー(2013)』**は、原作を現代の舞台劇に翻案した形で再解釈し、話題に。
  • 文学だけでなく、フェティシズム、ジェンダー、支配と服従というテーマを探求する上で重要なテキストとされている。

『毛皮を着たヴィーナス』の心理学的解釈

フロイト的観点からの理解

  • フロイトが後に提唱する「エディプス・コンプレックス」や「リビドー理論」と照らすと、セヴェリンの欲望は幼少期の欲望の反転や母性への依存に結びつけられることが多いです。
  • 特に、強い女性像=母性+支配への憧れは、フロイト的には**「受動性の変換」**として理解可能です。

セヴェリンが自ら「苦痛」を求めるのは、無意識的な「愛されたい欲望」の表現とも取れます。

マゾヒズムの構造(ラカン的解釈)

  • 精神分析学者ジャック・ラカンは、マゾヒズムを「法(父性)に服従することで快を得る構造」として位置づけました。
  • この視点では、セヴェリンは自分の欲望ではなく、他者の欲望(=ワンダの視線)によって自分を定義しようとしている
  • ワンダが望む自分=奴隷、という像に「なること」にこそ、彼の主体性がある。

欲望の主体と倒錯

  • 通常、サディズムやマゾヒズムは「性的倒錯」とされてきましたが、現在の心理学ではより人間の複雑な愛情と権力関係の表現として再評価されています。
  • 『ヴィーナス・イン・ファーズ』は、欲望のあり方そのものが「倒錯」ではなく、「人間的に極めて誠実な露出」として読まれることが多いです。

『毛皮を着たヴィーナス』のフェミニズム的視点

女性が「支配者」として描かれる逆転の構図

  • 当時の文学では、女性はしばしば「受動的存在」として描かれていたが、本作ではワンダが支配する側として登場します。
  • これは19世紀の性別役割に対する挑戦的な表現であり、近年のフェミニストたちからは**「パワーを持つ女性の先駆的描写」**として評価されることも。

しかし、それは本当に「女性の解放」か?

  • 一方で、ワンダの支配性はセヴェリンの妄想の産物であるとも解釈されます。
  • ワンダの役割はあくまで男性のファンタジーの中の支配者であり、実際には彼女の自由意志は制限されているという読み方もあります。
  • 最終的にワンダは「普通の男性との恋愛」に戻ることで、男性社会の規範へと回帰します。

フェミニズム的には「見かけ上の女性のパワー」と「構造的な従属」が交錯する複雑なテキストといえるでしょう。

『ヴィーナス・イン・ファーズ』の現代的再解釈

ロマン・ポランスキーの映画『ヴィーナス・イン・ファー(2013)』では、ワンダの役が完全に支配を握り、演出家男性を翻弄する構図に改編されています。

現代フェミニズム的な「女神=ファム・ファタール」のイメージとして再構成されており、原作の再解釈として非常に興味深いです。

『ヴィーナス・イン・ファーズ』は日本語訳の本も出版されています。

毛皮を着たヴィーナス (古典新訳文庫)

邦題『毛皮を着たヴィーナス』
許光俊
古典新訳文庫

映画化されていたり、2022年に新刊で発売されていたりするので興味ある方は是非どうぞ。